その言葉に責任はあるか。「結果が全て」の世界で感じる違和感。
よく人はこういう。
「結果が全てだからな。」
その言葉にどれだけの責任を持って言っているのだろうか。
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勝負の世界、「どう努力するのではなく、どう結果を出すのか」がとても重要なことだ。
努力は裏切らない。
そんなものは綺麗事だ。
結果が出せない人は努力していない。努力したことは他人の評価には寄与しない。
これが通常の ``他人からの`` 見方であり、考え方だ。
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しかし、その言葉を他人に向けていいものなのか。
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人には人の苦労があって過去がある。それを知るのは親友でも親でもない。自分自身にしかリアルは分からない。
この「結果が全て」という言葉は自分自身に向けることで効果を発揮する。
自分をモチベートし、結果を出すためにその過程に全力を注ぐ。
その時にこの言葉が自分を後押しする。
まだ結果は出ていないだろう、と。
その言葉は他人に使うものではない。自分に向けるものだと。
言葉には生き様が宿る。
ならばその苦労を知っているならばその場を
「結果が全て」という言葉では
終わらせないだろう。