ibuki

僕はサッカーを幼稚園から現在の大学4年生まで続け、人生の大半をサッカーに捧げてきました。最近では学生生活が終了するということで将来のこと、サッカーを始めとするスポーツに関しての興味が広がりつつあります。ここでは僕の日常的な事から感じたことやサッカーに関しての考え方を超主観的に述べていこうと思います。

その言葉に責任はあるか。「結果が全て」の世界で感じる違和感。

よく人はこういう。

 

「結果が全てだからな。」

 

その言葉にどれだけの責任を持って言っているのだろうか。

勝負の世界、「どう努力するのではなく、どう結果を出すのか」がとても重要なことだ。

 

努力は裏切らない。

そんなものは綺麗事だ。

 

結果が出せない人は努力していない。努力したことは他人の評価には寄与しない。

これが通常の    ``他人からの``   見方であり、考え方だ。

しかし、その言葉を他人に向けていいものなのか。

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人には人の苦労があって過去がある。それを知るのは親友でも親でもない。自分自身にしかリアルは分からない。

 

この「結果が全て」という言葉は自分自身に向けることで効果を発揮する。

自分をモチベートし、結果を出すためにその過程に全力を注ぐ。

その時にこの言葉が自分を後押しする。

まだ結果は出ていないだろう、と。

 

 

その言葉は他人に使うものではない。自分に向けるものだと。

 

言葉には生き様が宿る。

ならばその苦労を知っているならばその場を

「結果が全て」という言葉では

終わらせないだろう。